深い歴史に育まれた楽園キプロスへ~神話の里パフォス~

「キプロスって聞いたことはあるけどどこにあるの?中近東?」、どこの領土?」、「危なくないの?」、「何があるの?」・・・。キプロスに行きませんかとお誘いすると、必ず返ってくる質問です。れっきとしたEUの一員で、ユーロを通貨とする国なのに、この知名度の低さ!! 『地中海最後の楽園』、『東地中海の真珠』、『アフロディーテ誕生の地』という穏やかな楽園の島をちょっと覗いてみましょう。
キプロスは地中海東端に浮かぶ、四国の半分ほどの広さの島です。ヨーロッパ、アジア、アフリカの“三大陸の交点”という位置が、島の歴史や社会構造を複雑にしてきました。ギリシャ、ローマ、ビザンティン、ヴェネツィア、トルコ、イギリス・・・と多くの権力が島を駆け抜け、その足跡を島に残しました。現在でも、ギリシャ系住民が多く暮らすキプロス共和国とトルコ系住民から成る北キプロス・トルコ共和国に分断され、国境には壁が立ちはだかっています。しかし、近年は両国間には紛争もなく、比較的平和な国境(グリーンライン)となっています。
神話の宝庫 ボッティチェリの名画「ヴィーナスの誕生」。生まれたばかりのヴィーナス(アフロディーテ)が大きな貝に乗って、風に吹かれつつたどり着いたのは、キプロス島の浜辺でした。キュプロス王であったピュグマリオンは、現実の女性に失望し、憧れのアフロディーテをモデルに女性像ガラテアを造り、この像を愛してしまいます。アフロディーテはそんなピュグマリオンの願いを聞き入れ、ガラテアに生命を吹き込みました。この二人の間に生まれた子がパポスで、後にパフォスの町を建設しました。さらに、パポスの娘がミュラ。ミュラの美貌を妬んだアフロディーテのいたずらで、ミュラは実父キニュラス王(パポス)を愛し、身ごもりました。そして女神によって没薬の木(ミルラ)に変えられてしまいつつも、息子アドニスを生みます。美少年アドニスをめぐって争ったのが、アフロディーテと冥界王妃ペルセポネです。結局、妬んだペルセポネの陰謀で、狩りに出たアドニスは、イノシシに殺され、その血からアネモネの花が、アフロディーテの涙からは真赤なバラの花が咲きました。

ヴィーナスがたどり着いたペトラ・トゥ・ロミウ

ローマ時代のキプロス こんなワクワク、ドキドキの神話に彩られた島なのです。ギリシャ時代にはいくつもの都市国家が形成され、ローマに継承されました。サラミスはローマ時代、本国に銅、ワイン、オリーヴオイルを積み出す貿易港として大繁栄し、キリスト教もいち早く伝わりました。初期キリスト教会を支えた聖バルナバはサラミスで生まれ、改宗した聖パウロ(当時はサウロ)のよき理解者でした。二人は紀元45年にサラミスに上陸し、島を伝道して巡りました。パフォスでは、迫害を受けつつもローマ総督セルジオ・パウロを改宗させることに成功し、以後、サウロはパウロと改名したとされます。

パウロが鞭打たれたとされる柱

早春のサラミス遺跡

パフォスのモザイク パフォスに残るローマ時代の豪邸跡には床一面に見事なモザイクが残されていて、キプロス初の世界遺産「パフォスのモザイク」として知られています。中でも「ディオニソスの家」と呼ばれる邸宅の床は、ギリシャ神話の場面やお洒落な幾何学模様で見事に埋め尽くされています。そんな邸宅がいくつも残るパフォスは、当時の街の豊かさを今に伝えています。他にも古代遺跡やビザンティン教会など見どころの多いパフォス。キプロスを訪れるなら、欠かすことのできない街です。パフォス城が建つ旧港沿いには、レストランやカフェが建ち並びます。見学を終えたらここでキプロスワイン(コマンダリアというデザートワインが有名です)を飲みながら、感動の余韻に浸ってみましょう。真正面には沈みゆく夕陽と真赤に染まる空・・・。生涯忘れることのできない一場面となりそうですね。

パフォスのモザイク

パフォスの夕陽

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