楽園キプロスで出会うビザンティン芸術 ~トロードスの山なみ~

海のリゾートのイメージが強いキプロスですが、今回はビザンティン聖堂が多く残る内陸の深い山並みに分け入ってみましょう。
トロードスの山なみ

トロードスの山なみ

トロードス山脈
キプロス島の中心部から西部にかけて広がるキプロス最大の山塊で、最高峰は標高1952 m のオリンポス山です。山間には、素朴な村が散在し、春のハイキング、冬のスキーなど、季節ごとに賑わう山の行楽地となっています。そして深い山脈の所々に、ビザンティン時代の修道院や聖堂が多数残されています。ビザンティン時代には、イスラム勢力がたびたび押し寄せた海岸部を避けて、多くの聖堂や修道院が山中に建築されました。言わば“イスラム勢力の脅威のおかげで”、トロードスはビザンティン美術の一大中心地となったのです。残されている聖堂のうち10か所が1985年と2001年に「トロードス地方の壁画聖堂群」の名で世界遺産に登録されました。また、世界遺産ではありませんが、キコス(キッコー)修道院のように巡礼地としてよく知られている修道院もあります。山が深く、道路事情が良くないため、多くの聖堂をめぐるのは容易ではありませんが、海岸沿いとは全く異なる“もうひとつのキプロス”を味わうことができる一帯です。山脈南麓はブドウ栽培がさかんで、良質のワインを産出しています。
アシヌー聖堂外観

アシヌー聖堂外観

アシヌー聖堂内部の壁画

アシヌー聖堂内部の壁画

トロードスの教会と壁画
トロードスに残る教会の多くは、一見、農家の作業小屋と思しき地味な建物です。聖堂がすっぽりと小屋に覆われていたり、屋根の上にさらに屋根をのせて二重屋根としているなど、他地域では見られない独特な形をしています。この建築方法は、トロードスの豊富な木を用いて、雨や雪を防ぎ、しかも安く造るために駆使されたものです。瓦も土地で焼かれたものを使用しています。素朴な外観は、教会内部の豪華さとは実に対照的です。教会に一歩足を踏み入れると、壁一面を埋め尽す鮮やかな壁画群や所狭しと多くのイコンが並ぶイコノスタシスに目を奪われます。10世紀以降は、イスラム勢に侵略された中東からも多くの芸術家がキプロスに逃げ込み、多くの作品を制作しました。特にコンスタンティノープルからやってきた芸術家が多く、ヘレニズム風の自由な動きがある画風が多く見受けられます。しかし、16世紀に完全にオスマン・トルコの支配下となって以降は、壁画制作はほとんど行われなくなりました。
アギオス・ニコラウス・ステギス聖堂外観

アギオス・ニコラウス・ステギス聖堂外観

アギオス・ニコラウス・ステギス聖堂
イコノスタティス

アギオス・ニコラウス・ステギス聖堂
イコノスタティス

アルカンゲロス・ミハイル聖堂内観

アルカンゲロス・ミハイル聖堂内観

キプロスと猫
キプロスを旅すると、どこに行ってもたくさんの猫が出迎えてくれる筈です。最後に猫伝説をご紹介して、締めくくりたいと思います。伝説によると、4世紀にこの島が大旱魃に襲われた時、井戸や水のある洞窟には毒蛇が巣くい、水を汲むこともままならない人々は困り果てていました。ローマ帝国の皇后へレナ(コンスタンティヌス帝の母)はこの有様を見て、毒蛇と戦わせるために、中東から大量のネコをキプロス島に運んだのが、この島に猫が生息するきっかけになったと伝えられています。そして猫たちは期待に応え、見事に島の毒蛇を一掃したとされています。しかし考古学的には、キプロスの猫の歴史はもっと古く、9500年前の新石器時代にシルロカンボス村(現在は遺跡)で猫が飼われていたという証拠が見つかっています。現在も島の人たちは猫を地域猫として大切にし、3~4年前までは島に約100万匹の猫がいたそうです(因みに人口は約120万人)。しかし2022年頃から猫コロナが蔓延し、約30万匹が犠牲となりました(野良猫なので正確な数字は不明です)。その後、人間用のコロナワクチンを猫に投与し、現在はすっかり落ち着いています。(猫コロナはヒトには伝染しないそうです。) どこに行っても可愛い猫たちが出迎えてくれるキプロス。猫たちにとっても災難のない楽園であり続けててほしいものです。
おれ、ねこ

おれ、ねこ

ホテルのプールでくつろぐ猫

ホテルのプールでくつろぐ猫

写真©The Classic Tours

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